なぜ換気にこだわるのですか?

「新しい家づくりの教科書」のウソ

「いい家」をつくる会事務局からメールが届いた。

「いい家」をつくる会のホームページ内のエッセイ集「『あたらしい家づくりの教科書』のウソ」を読むようにとの事。

早速、エッセイを開いて読んでみた。

新建新聞社にて発行された「あたらしい家づくりの教科書」に対する「いい家」をつくる会松井代表のするどい意見が載っていた。

エッセイを読んで、私も松井代表の意見に賛成だ。

屋根・壁・基礎まで完全外断熱し、樹脂サッシで「Low-E複層ガラス」を入れた家でも、室内空気の流れが無いと、洞穴と一緒で空気がよどんでしまう。

空気がよどむと、いくら温度が合っていてもほこりや臭いで、息苦しくなって来る事を私は体験している。

我々が造っている『涼温な家』のお引渡し前のテストで窓を閉め切り、換気システムやエアコンを停止し、1時間もすると息苦しさを感じ始める。

皆様も夏、洞窟の中に居るとヒンヤリとしていて涼しく感じられると思うが、長く居ると、息苦しさを感じ始める。それに比べ、広場の大きな木の木陰で休んでいる時に、風が吹き抜けるとすごく気持ち良く感じる。

この違いだと思う。

やはり人が暮らす家には、『空気の流れ=換気』が絶対に必要である。

以下、「いい家」をつくる会のホームページ内のコラム『「あたらしい家づくりの教科書』のウソ」を掲載します。

「あたらしい家づくりの教科書」(新建新聞社)を読んだ。
 家づくりの最前線で活躍する5人のエキスパートがやさしく解説してくれるというので、どこが新しくなったのかを勉強すべく早速購入した。

トップバッターは「エコハウスのウソ」(日経BP)で、一躍名の知られた東京大学准教授の前 真之さん。

<住まいのガッカリ度ナンバーワンは、温熱環境。つまり、暑さ・寒さに関すること。残念ながら日本では、家づくりのプロでさえ誤った対策をすることが多いのです。でもご安心を、私たちの体のしくみを紐解けば意外と簡単。「温熱」を制すれば家づくりを制す。あたらしい家づくりの授業、まずはここからはじめましょう。>

さすが学者さん。歯切れが良いスタートだった。

だが、「温熱を制すれば家づくりを制す」とは、乱暴な決めつけだ。「換気」を忘れている。温熱と換気を一対として扱わない限り、住み心地の良い家は造れない。

途中の論理は、「エコハウスのウソ」の踏襲でごく当たり前の展開なのだが、締めがいただけない。

<こうした高断熱の家では壁や窓の温度が適温なので、放射による熱ロスが適度に保たれています。よって対流で無理に補う必要がないため、熱い空気も冷たい空気も必要ないのです。>

この決めつけは、ウソと批判されても仕方がなかろう。

冬に断熱強化だけで窓や壁からの放射熱が適温になるとしたら、夏は逆に暑さで参ってしまう。玄関を入った瞬間には、洞窟に入ったようにひんやりと感じられるのは確かだが、やがて生活の排熱と臭いが気になり、適度にエアコンと換気を用いないことには不快になる。

体調によっては、熱いお茶一杯を飲んでも汗が噴き出す時もあるものだ。

パッシブハウス基準で建てられたフランクフルト郊外に建つ家(エアコンがない)が、今年7月、外気温27度・湿度70%のときに、ほとんどの家の窓が目いっぱい開けられていた。

つまり、窓からの風(対流)なくしては暑くてたまらないということだったのだ。

エアコンにしろ、自然の風にしろ、対流に頼らずに放射熱で家中快適が得られると言うとしたら、それはウソになる。

「適温」は冬は長持ちするが、夏は、料理・食事・入浴などによって簡単に消失してしまう。窓から多少太陽熱が入っても暑くなってしまうので、天気の良い日はシャッターを下ろし、カーテンも閉めて遮熱対策の徹底を強いられる。

そうしたとしても、いったん失われた「適温」を復元するにはエアコンが必要だ。

「冷たい空気」、つまり「対流」に頼らざるを得ない。

続きを読もう。

<こうした高断熱住宅が実現する温熱環境にいると「暖かい」も「涼しい」も感じることがなくなります。体も心もリラックスしたまま、ずっとい続けたいと感じる空間になるのです。毎日いても飽きることのない、さながら毎日食べているおコメのようなものともいえるでしょうか。>
 

「おコメ」とは、私が言っている「住み心地」のことだと思う。

「暖かい」も「涼しい」も感じることのなく、空気が気持ち良いのであれば、まさに住み心地の理想状態だ。それには、温熱だけではなく、換気と冷暖房の組み合わせが必須だ。

コメが嫌なニオイがしたら、食べる気になれるだろうか?

私も以前、前さんと同じようなことを言っていた時代があったが、実際に住んでみて空気の大切さを実感し、「涼温換気」にたどり着いたのだ。

生活者は、常につくる側が期待するように生活するとは限らない。

たとえば、育ち盛りの娘が3人いると、食事と入浴とドライヤーの熱で3度、人体の発熱で1度、湿度は30%も上昇する。断熱強化は、それだけの熱と湿気を不快に感じさせるのには間違いなく役立つが、快適にするのにはほとんど役立たない。

くりかえしになるが、前さんが不要と決めつける「対流」、言い換えるとエアコンと換気が絶対に必要なのだ。

更年期のような時期はとくにそうだ。快適に満足と言った数秒後には、理由もなく温度・湿度感覚が変調を起こし「あつい,あつい!」を連発し、ちょっとしたニオイにいら立ったりする。

冬は、一人だけ冷え性を訴える。

そんなのは特殊事情だと言ってしまうと、工務店の経営が成り立たなくなってしまう。学者や評論家・建築家と違って、工務店はすべてのお客様とそのご家族の満足に奉仕するのが仕事なのだから。更年期も、お客様の大事な一時期と考えて対応しなければならない。

どんなに高断熱の家を造ったとしても、それだけでは、前 准教授が想像するように、生活者が「体も心もリラックスしたまま、ずっと居続けたい」と願う状態は長続きしないと私は断言できる。

家づくりの真実はこうだ。「温熱」を制したからといって「住み心地」が良くなるとは限らない。言い換えれば、「換気」と「冷暖房」の組み合わせなくして住み心地の良い家は造れないのだ。
 しかしながら、この本が換気に触れているのは終りに近いところのたったの4行だけ。驚いたことに、すでにヨーロッパでは非常識とされる第三種換気を容認している。

私は質問したい。

第三種換気では、<こうした高断熱住宅が実現する温熱環境にいると「暖かい」も「涼しい」も感じることがなくなります。>は、ウソになりませんか?

夏には高温多湿な空気、冬には低温で乾燥した空気がどんどん吸い込まれ、室内の快適さは失われていきませんか?

この本を読み終わって、つくづく思ったことは、住み心地について正直に、的確に語れる人は極めて少ないということだ。

住み心地について語るには、実際に3年以上住んで、住み心地を保証する家を100棟以上造って、3年以上フォローし続けたという実証が必要なのである。

「換気」の良し悪し、すなわち空気の質感は「住む」体験によってしか語れないし、語ってはならないものだ。学者や建築家のほとんどは、数時間の訪問で安易に語る。

住む人の幸せを心から願う立場では、この本を「あたらしい家づくりの教科書」とはとても認め難い。題名を「参考書」に変えてはいかがか。

この教科書には、まだまだウソに近いようなところがあるのだが、それは次回にしたい。

松井 修三

~2016年9月5日のブログより~