命を守る住まい

家づくりへの

家づくりへの情熱

元鉄鋼マンだと申し上げると、大抵の方は「変わった経歴ですね」とおっしゃいます。山口県東部に位置する玖珂郡美和町(現 岩国市美和町)に生まれた私は、県立岩国工業高等学校を卒業後、日新製鋼(株)呉製鉄所に入社しました。仕事にやりがいは感じていましたが、建築というものづくりの世界への情熱を抑えきれず、働きながら呉市にある近畿大学工学部建築学科に進みました。会社もそんな私を面白いやつだと思ってくれたのでしょう、大学卒業後は日新製鋼(株)の中で、建築士として工場建設や寮、社宅の福利厚生施設の建設に携わるようになりました。

そんなある日、人生の転機となる出来事が起こりました。平成7年に起きた阪神淡路大震災です。当時私は堺製造所に転勤になっており、多くの建物が倒壊している惨状を目の当たりにしました。社員寮をはじめとする会社の建物の修復に無我夢中で飛び回るうち、以前からやりたかった住宅の仕事に就くのは今しかないという思いが、心の奥から湧き上がってきました。「命を守る住まいをつくりたい」。日新製鋼(株)の施設補修を終えた後に退職した私は美和工務店を立ち上げ、新しい人生のスタートを切ったのです

 

「いい家をつくる会」のとなる

工務店を立ち上げた当初は、とにかく丈夫な家をつくりたくて鉄骨に取り組んだりもしました。たっぷり5年ほどは試行錯誤が続いたでしょうか。そんな私に再び人生を変えるような大きな出会いが訪れたのが、平成12年1月のことでした。

朝日新聞の『天声人語』。そこには「東京に外断熱しかしない工務店がある。」と書かれ、松井修三会長のことが紹介されていました。「これはすごい!」。そう直感した私は家内と共に、ただちに東京に走りました。そして松井会長に、ぜひ私たちにも「いい家」をつくらせてくださいとお願いしました。松井会長に快く受け入れていただいた時は嬉しかった。会長がいつもおっしゃっている「正直な家づくり」に徹していこうと、心に誓いました。いまもその教えは私の胸の中で、熱い塊となって燃え続けています。

「いい家をつくる会」の一員となる 「いい家をつくる会」の一員となる

 

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